転勤族は「地元」がない?故郷を聞かれて困るのはあなただけじゃない
数年おきに引越しをくりかえす転勤族。自分の親も転勤族だったりすれば、「地元」と胸を張って呼べる場所がなくなりがちです。
そもそも、地元やふるさとって、どんな場所のことを指すのか。
子どものころから長く住んでいた場所?
5年、6年過ごしたとしても、思い入れのもてない土地だってあります。時間だけでもはかれません。乳幼児期から幼児期ならたいした記憶もないでしょう。
親戚縁者が多く暮らしている場所?
確かに、父方母方それぞれで親戚が集まっている地域はあります。ですが、親世代はともかく、私たち子ども世代は都心部を中心に全国に散らばっています。
子どものころのお盆のように、本家の大広間に何家族も集まってわいわい盛り上がる風景はもう見られないでしょう。そもそも、子どものいない従妹、独身の身内も増えています。何かにつけて近所で集まる寄り合いのような制度も、ほぼなくなっています。
地縁も血縁も薄くなれば、それは「地元」とは言いにくくなります。
地元の友だちと疎遠になりがち、物理的距離は心の距離
人によるでしょうが、接触する機会が減れば心の距離は離れます。
環境が変われば、お互いの立場も変わり話しにくいことも増えてきます。ましてや、物理的距離まで開いてしまえば、疎遠になるもの致し方なし。
子どものころは、転校する先で仲良しの友だちができます。学生のころも苦楽をともにした仲間とは、深い部分でつながれます。社会に出ても、ずっと友だち。自分が「地元」と思ったところが「地元」。そう信じて疑わなかったはず。
同窓会や、帰省した時に定期的に会える仲間内なら、関係性は保てるでしょう。ずっと地元で暮らし、仕事も結婚も外へ出ずに済んでいる人ならば、人間関係もずっと維持できるでしょう。それはそれで息苦しいこともありますが。
対して、いくつかの「地元」から遠く離れた転勤族。わが家の場合、飛行機でなくてはいけない土地ばかり。盆暮れの帰省は、夫の親元、私の親元優先です。幼児を抱えて、全く別のところへ飛行機で旅行なんて現実的ではありません。
子ども時代、学生時代の友人と会えないままに年月を重ね。すっかり住む世界もちがってしまいます。たまに連絡しても、あの頃のように話は盛り上がらず…。価値観のちがいも気になってしまいます。
転勤族でなくても、とくに女性は家庭をもつ年代になると抱える悩みかもしれません。
「年をとって子どもが独立すれば、環境や価値観のちがいは関係なくなるよ」と、以前転妻の先輩から助言を受けたので、長い目で見ます。
子どもに「地元がない」という負い目
転勤族ならだれもが悩む、子どもの転校。
知らない土地を転々としていたら、せっかく仲良くなった友達と別れさせてしまう…。新しい土地で、うまくなじまるのか…。何とかうまくそれぞれの地域で過ごせたとしても、子どもに「故郷」がないってどうなんだろう。
幼いころからお互いをよく知っている幼馴染。あこがれますよね。腐れ縁とか言っても、転勤族には腐らせるほどつきあえる時間がないのですもの。
子どもが小学校にあがるタイミングや、中学校入学の前に、単身赴任を選ぶケースはとても多いです。子どものことを心配すればこそ。実際、私自身は高校でも転校して、成人式はどこで出るのか分からないクチでした。
ただ、早くから単身赴任してしまうのもリスクがあります。「物理的距離は心の距離」というのが信条です。
夫が隔週、週末だけしか返ってこなくなったら。3カ月もすれば、「いなくても何とかなる?」と思ってしまうのが怖いなと。子どもも反抗期ですし、父嫌いに拍車がかかったら…。家族の危機がちらつきます。
帰るはずだった場所が、いつのまにかなくなっている
今さら地元どうこう言っても詮無いこと。なのにどうして愚痴るのかというと、引越し後ようやく落ち着いたから。
「引越しうつ」という病気があるように、住居の移動を伴う転勤は心身ともにめちゃくちゃ疲れます。今回は陸路で約800キロの移動です。やらなければならないことが山ほどあり、子どもの転校にかかわるケアもあります。さらに今回はコロナにも影響されまくりました。
荷物のコンテナがつくまで、時間調整という意味で3泊4日かけて移動をしました。途中、福岡の門司港へ立ち寄ることに。
なぜかというと、2012年公開の高倉健さん主演の映画「あなたへ」のラストシーンの場所だったから。
富山の刑務所で指導教官を務める倉島英二に、亡くなった妻・洋子から届いた絵手紙。そこには今まで知らされることの無かった“故郷の海に散骨して欲しい”という洋子の想いが記されていた。
洋子の遺言は依頼人により、平戸の郵便局に7日間保管されていた。亡くなった洋子の真意を知るために、故郷へ向けて自分で内装をしたワンボックスカーで、一人旅を始める英二。
その旅は富山から始まり飛騨高山、京都、大阪、竹田城、瀬戸内、下関、北九州市の門司、そして洋子の故郷である長崎県平戸の漁港・薄香へと続く。
風光明媚な地で出会うさまざまな人々と、さまざまな人生。出会いと別れ。そしてそれは、英二が洋子の深い愛情に改めて気付かされる旅でもあった。
「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく 種田山頭火」。
Wikipediaより
映画自体の話は、評論サイトなどに譲ります。長崎もロケ地だったので、映画に登場した平戸や灯台にも行きました。今も、心に残っています。
作品の中でいくつか忘れられないセリフがありました。(要約)
「ビジネスホテルはみんな同じような部屋ばかりで、自分がどこにいるか分からなくなる」
物産展に出店するために、全国を飛び回って仕事をしている田中(草彅剛)のセリフ。家を空けているうちに、妻の浮気で家庭崩壊の危機。つまり、帰る場所がなくなってしまうのです。
転勤族なら、思ったことありませんか。
「なんでここにいるんだろう」
全国各地を転々としているうちに、気づけば自分の居場所が分からなくなっている。自分が帰るはずだった場所が、いつのまにかなくなっている。転勤族だけじゃなく、単身赴任の男性にも言えることかも。
それを受けての、映画の中での言葉。
「帰るとこなんて、これから探せばいいじゃないですか」
「ここまで来たってことで十分やないですか」
それしかないですよね。
生々流転。
この世の中のすべて、絶えず生まれては成長し続け、変化を続けていく。変わらないものなんてないのかもしれない。 地元との縁が細くなったのならば、残された絆をつなぐしかない。新たに自分の居場所をつくる働きかけもしないと。
転出届けを出し前の家を引き払ってホテル住まい。自分に重なる部分があって、門司に寄らずにはいられませんでした。
「旅と放浪のちがいは、目的があるかないか、帰る場所があるかないか」
映画の中で、北野武演じる男が主人公に語るセリフがあります。
「旅と放浪の違いはわかりますか。旅と放浪の違いは、目的があるかないかなんですよ」
そう言って、種田山頭火の「分けいっても分けいっても青い山」の句をそらんじます。種田山頭火は放浪の詩人。放浪はどこまで続けても、ゴールがない。たどり着く場所がないのです。
種田山頭火の歌集を主人公に手渡し、去る男。再会したときに、彼は警察のお世話になっていました。「旅をしているうちに目的を見失ってしまいました」と皮肉に笑います。何だか他人ごとではないなと。
転勤を重ねるうちに、目的が分からなくなっていないか。若いころは見知らぬ土地にあちこち移り住むこと自体が新鮮で面白おかしくて。ですがいつしか、何のための移動なのか、帰る場所はどこなのか、わからなくなっていたのかも。
そろそろ、帰る場所をつくる時期なのかも
オチもなくだらだらと、考えを整理するために書いています。
転勤族はある程度の年齢になると、引越しに疲れてくる。諸先輩方から聞いてきましたが、何となく、理解できてきました。人間、帰るところがないと、迷子になってしまうのだなぁと。
故郷がないのならば、地元がないのならば、つくればいい。
「帰るとこなんて、これから探せばいいじゃないですか」
人生、何かを成し遂げるには短すぎますが、何もしないでいるには長すぎますから。